MISIAのCDやライヴの感想をダラダラと書いていくブログなんですけどぉ~、ネタバレとかアリアリなんで、そういうの見たくない人はご注意くださいませ。。。。
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ツアー2005やその直後の愛・地球博ライヴのMCでMISIAは度々、件名の本から引用して話してました。(具体的な書名は言わなかったけれどね)「人工」の話とか、他の部分もいくつか話してましたけど、下記の話を最もよく話していました。今年になっても「気まぐれ日記」で少し書いてました。
書店で偶然この本の前書きを読んだとき、MISIAは自分のライヴを「花見」のようにしたかったんじゃないのかなと思いました。
(たとえば、引用後半部分の「花」や「植物」を「MISIA」に、「花見」を「MISIAのライヴ」に、「人間」や「人」を「ファン」に置き換えて読んでみるとか、、、)
そして今日、MISIAの「気まぐれ日記」を読んで、この「花見」への思いはまだ続いているんだなと思い、ちょっと長いけど引用してみることにしました。
注)日記の要旨自体は「花見」じゃないです。
<引用開始>
「サクラ」という言葉には、花や樹木を宇宙的なメディアとしてみる感覚がよく表れている。
春になると、山の神が里に降りてきて、田の神となって稲穂に宿る。山の生命力がフユに増え、ハルに張り切って里の方へとあふれだし、やがて稲となって結実する。
その生命力が山から降りてくる兆し、目にみえない力のあらわれが、ほかならぬ山桜の開花だった。「サ」は穀物神=田の神を意味し、「クラ」はその座、つまりちょうど山桜が色づくあたり、山と里の中間領域での、しばしの休息の場所ということらしい。
(途中略)
だから花は、人間とこの世界を育むエネルギーが一瞬美として可視化される「よりしろ」なのであり、豊かな実りを約束する宇宙的な便りでもあった。
(途中略)
その意味で「花」は本質的に宇宙的なメディアであり、その神をお迎えする、宇宙の霊力のおとずれに立ち会うというのが、単に景色として見るだけではない「花見」の原風景だった。
さらに言えば、「花見」はもともと"花狩り"と呼ばれ、花の霊力を身にまとうというのが本来の意味。だが、それはただ森林浴のように花のスピリッツを浴びる、人間が植物から力をもらう、といった一方的な考え方ではなかったそうだ。
というのも「花見」はもともと人間が花を楽しむ以上に、人が花を楽しませ歓ばせるという、本質的にインタラクティヴな営みだったからだ。
花(サクラ)は稲魂が降り立ち、宇宙の生命エネルギーがそこに充溢してくるあらわれなのだから、その華やいだ気配をさらに増幅してゆくことで、秋の実りもより豊かなものとなるだろう。
そこで皆こぞって山に入り、花のまわりで囃子たてて舞い踊る。その美しさにこと寄せた「歌」を詠み、若い男女は愛を交わし、いのちを孕むプロセスを擬態する特別な時空を演出する。
結局、花はただ"見る"ものでも、その下で酒を飲むためだけのものでもない。花を見ながら歌い踊るのは、もともと"花のため"でもあるのだ。
こうして神を歓ばせる芸能的な営みを通じて、花の霊力をさらに鼓舞してゆくことで、世界全体のエネルギーも豊かに増殖してゆく。それは、この宇宙の大きな生命循環のプロセスに、人間もインタラクティヴに参加してゆく創造的な行為といえる。
<引用終了>
書店で偶然この本の前書きを読んだとき、MISIAは自分のライヴを「花見」のようにしたかったんじゃないのかなと思いました。
(たとえば、引用後半部分の「花」や「植物」を「MISIA」に、「花見」を「MISIAのライヴ」に、「人間」や「人」を「ファン」に置き換えて読んでみるとか、、、)
そして今日、MISIAの「気まぐれ日記」を読んで、この「花見」への思いはまだ続いているんだなと思い、ちょっと長いけど引用してみることにしました。
注)日記の要旨自体は「花見」じゃないです。
<引用開始>
「サクラ」という言葉には、花や樹木を宇宙的なメディアとしてみる感覚がよく表れている。
春になると、山の神が里に降りてきて、田の神となって稲穂に宿る。山の生命力がフユに増え、ハルに張り切って里の方へとあふれだし、やがて稲となって結実する。
その生命力が山から降りてくる兆し、目にみえない力のあらわれが、ほかならぬ山桜の開花だった。「サ」は穀物神=田の神を意味し、「クラ」はその座、つまりちょうど山桜が色づくあたり、山と里の中間領域での、しばしの休息の場所ということらしい。
(途中略)
だから花は、人間とこの世界を育むエネルギーが一瞬美として可視化される「よりしろ」なのであり、豊かな実りを約束する宇宙的な便りでもあった。
(途中略)
その意味で「花」は本質的に宇宙的なメディアであり、その神をお迎えする、宇宙の霊力のおとずれに立ち会うというのが、単に景色として見るだけではない「花見」の原風景だった。
さらに言えば、「花見」はもともと"花狩り"と呼ばれ、花の霊力を身にまとうというのが本来の意味。だが、それはただ森林浴のように花のスピリッツを浴びる、人間が植物から力をもらう、といった一方的な考え方ではなかったそうだ。
というのも「花見」はもともと人間が花を楽しむ以上に、人が花を楽しませ歓ばせるという、本質的にインタラクティヴな営みだったからだ。
花(サクラ)は稲魂が降り立ち、宇宙の生命エネルギーがそこに充溢してくるあらわれなのだから、その華やいだ気配をさらに増幅してゆくことで、秋の実りもより豊かなものとなるだろう。
そこで皆こぞって山に入り、花のまわりで囃子たてて舞い踊る。その美しさにこと寄せた「歌」を詠み、若い男女は愛を交わし、いのちを孕むプロセスを擬態する特別な時空を演出する。
結局、花はただ"見る"ものでも、その下で酒を飲むためだけのものでもない。花を見ながら歌い踊るのは、もともと"花のため"でもあるのだ。
こうして神を歓ばせる芸能的な営みを通じて、花の霊力をさらに鼓舞してゆくことで、世界全体のエネルギーも豊かに増殖してゆく。それは、この宇宙の大きな生命循環のプロセスに、人間もインタラクティヴに参加してゆく創造的な行為といえる。
<引用終了>
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プロフィール
HN:
Zara
年齢:
25
性別:
男性
誕生日:
2000/02/10
職業:
MISIAファン
趣味:
MISIA
自己紹介:
2000年以前は別HNでMISIAオフィシャルサイトの掲示板とかに書いてましたぁ~
今のHNにしてからは「ひまわり島」(現在は閉鎖)、「style of 風月」(現在は閉鎖)なんかでモゾモゾしてましたぁ~
現在、ぼくがコメントしそうなところはリンクをご覧下さい。
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